私の経歴
1976年5月 | 兵庫県西宮市にて、家業を営む商家の二人兄弟の次男として生まれる。9歳のとき、父親の仕事の都合により東京に転居。小さいころは、決して口数が多いほうではないが、決めたことは最後までやり切る性格だったとのこと |
1989年4月 | 私立武蔵中学に入学、そして高校に進学。6年間バスケットボール部に所属し、仲間と共に汗を流す。高校時代は文化祭活動にも力をいれ、実行委員長として、来場者数No.1という目標を掲げる。目標実現のために日程を変更する署名運動や幅広い宣伝活動を行った結果、3日間で1万人を超える過去最高の来場客数を実現(山本やすゆきの原点) |
1995年3月 | 大学受験に失敗。駿台予備校に通う1年間の浪人生活を経て、東京大学へ入学。経済学部で経営学を学ぶなか、日本経済を支えるのは民間企業であるとの思いから、経済の血液として多くの企業を支える金融機関での仕事を志す |
2001年4月 | 三菱UFJ銀行(現在)に入社し、蒲田支店、西池袋支店で個人・法人営業に従事。地域経済を支える中小企業経営者の方々の情熱に触れ、企業を応援する仕事のやりがいを感じる毎日。その後、本店にて不動産ファイナンス、法人ソリューション業務などに従事し、さまざまなプロジェクトの推進を通じて、数多くの利害関係者に対峙する調整力・実行力を身につける |
2011年11月 | 2年間、三菱地所へ出向。東京駅エリアの再開発プロジェクトに関わる中で、街づくりが新しい人々の出会い・人生の場となる様子を目にし、街づくりの魅力に触れる |
2022年8月末 | 新たなチャレンジのため、21年間つとめた銀行を退社 |
2022年10・12月 | 品川区長選挙、その後の再選挙でいずれも2万票以上のご支持を頂く |
新たな決意の背景
わたしが今回、新たなチャレンジを決意した理由は、結婚以来15年間、妻・二人の子どもとともに住むまち品川に強い愛着をもち、この素晴らしい可能性をもった品川を、子育て・住みやすさで日本No.1のまちにしていきたいと思うためです。
最初のきっかけは、30代のときの銀行から不動産業界への出向。東京駅エリアの再開発に携わり、まちづくりが多くの人々の出会いの場として社会的価値を生んでいることを実感し、まちづくりやコミュニティに興味を持つようになりました。
また、二人の男児の子育てや趣味であるバスケットボール・卓球など地元でのスポーツ活動を通じて、自然と、地元しながわ、地域コミュニティへの関心と愛着を持つようになりました。
そのようななか、2年前に偶然、品川区庁舎の建替計画を知りました。地元をもっと盛り上げるためには、本格的なアリーナ施設があると良いとかねがね思っていた私は、財政負担をかけずに現庁舎跡地への品川アリーナ建設を実現するため、地元の友人たちと一般社団法人を設立して署名活動を展開。コロナ禍にも関わらず、区のスポーツ連盟や各種団体を中心に約2000名のご署名を頂いて区議会に陳情し、現在も継続審議をしていただいています。
この活動を通じて数多くの区議会議員や行政・地元経済界の方々とお会いする中、私は行政という仕事のすばらしさ・やりがいを改めて感じると同時に、区民の生活に重要な影響を与える事柄が、必ずしも区民の声を十分に聴かずに進んでいくこともあるということを、肌で感じました。
現職区政は財政健全化・区民サービス向上など、数々の成果をあげてきました。その優れた点は継承しつつ、品川区がさらに発展してより住みよい街となっていく上では、しがらみが全くない私が、既存の政治の在り方にとらわれず、民間目線の発想を生かして貢献する余地があるのではないか、と考えています。
品川区には素晴らしい歴史と伝統があり、最高の立地、豊富な人材に恵まれています。素晴らしいポテンシャルをもったまち、しながわは、子育て・住みやすさで日本No1になれる可能性があると確信しています。私は結果にコミットし、しながわをさらに前へ進めていく、チカラになりたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。